【台湾ドラマ】僕らのメヌエット の感想 その愛は二人の中にきっと今も存在しているのだ

台湾ドラマの「僕らのメヌエット」を視聴終了しました。脚本を担当したシュー・ユーティンは有名な方みたいで、私は「イタズラな恋愛白書 ~In Time With You~」はまだ見れてないのだけど、「台北ラブストーリー~美しき過ち」はとても好きだったんですよね。彼女の脚本にはドラマの背筋として伝えたい何かがちゃんとあってピンと一本筋が通っている印象があります。

 

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このドラマもどこかそんな雰囲気。幼馴染の恋愛と言ってしまえばよくあるお話みたいになってしまうのだけど、ドラマ内で引用されている作品たちがどこか哲学的で考えさせられてしまうのです。

愛って一体どういう形に行きつけば成就したと言えるのだろう?
「結婚して一緒に生活する」が終着点のように思っていたけれど、彼らの選択もまた一つの成就の形なのではないのだろうか?離れてしまってもきっとずっとお互いを思っている。そんな関係。そばにいて変わりゆくお互いの姿や気持ちを共有するのではなく、愛し合った美しい思い出をお互いの心の中でいつまでも共有する。そんな愛のカタチもあるのかもしれない、と思った。それが「とこしえのために永遠を捨てる」ことなのかしら?

そうそう、台北ラブストーリー~美しき過ちに出ていた莫子儀(モー・ズーイー)がゲスト的な役で出てました~ ここではちょっと変わり者の役だったけど、彼のナイーブな演技がとても好きなので主演で出ているドラマや映画をまた見たいなあ。

 

誰も悪い人なんて出てこないのに、それぞれの信念に従ってする行動が引き起こす結果を見ているのが苦しくて切ない。ジーウェイの母親がヤオチーに言う「自分の母親のような思いをジーウェイにはさせないで」という呪詛のようにヤオチーをがんじがらめにする鎖のような言葉。もちろん、ジーウェイの母親も父親も娘の幸せを願って、ヤオチーのような男と娘を一緒にさせたくないと思ってのことなんだろうけど、彼らの間を引き裂こうとすればするほどジーウェイは諦めることが出来なくなる方向に進んでいるようで。そしてヤオチーは祖母に教えられた通りに優しい良い人に育ったけれど、だからこそジーウェイを無理やりにでも自分のものにすることが出来ない。

大事件が起こるわけではない、とてもリアルな「どうすることもできない」ジーウェイとヤオチーの恋に胸が苦しくなります。幸せって一体どんな形が正解なんだろう・・・?

 

このドラマを見て思い出したのはこの歌。

触れたら千切れてしまうほど 細い糸見つめて
壊してしまうより手放すことを決めた遠い日

未だ知らぬ明日へ身体を投げ出すたびに
狂いそうな孤独が肌を突き刺すけれど
網膜に残るかすかな記憶の影
目を凝らして言い足りていない思いを綴る

・・・

瞬いてすぐに消える淡い残像は
時を経ても褪せないまま夢に宿る
たどり着く先にたとえ君がいなくても
あの日そっと言いかけて止めた思いを綴る

ホログラム   Angelo 詩:キリト 曲:キリト

英題のApple in your eyesは目に入れても痛くないくらい大切なものという意味なんだと思うんだけど、私がこのドラマを見ててなんだか網膜に焼きついて忘れられない存在というイメージを受けたのでした。そのせいかな、この曲とドラマの二人がなんとなく重なって見える・・・

 

妹のままではいられなくて、恋人になって、でもその時間は長くは続かなくて。
でも目に見える形では終焉をむかえたように思えるけれど、その愛は確かにそこに存在しているんだわ、きっと・・・なんて感傷的な気分になってしまうドラマだったのでした。

 

僕らのメヌエットが見れるのは・・・