【韓国映画】ビューティフルサンデー の感想 手が心臓から一番遠いところだから自分でも癖に気づかない

ナムグン・ミンも出ていることだしと見始めた「ビューティフルサンデー」ですが、一体どう着地するんだろうと思っていたら最後に突然なるほどそういうことだったのか・・・と分かる仕組みになっていました。まあでも陰鬱な気持ちになる映画ではあります。謎が解けてもすっきりはしない。そんな感じ。

あの林檎は禁断の林檎を食べてしまったことを表現しているのか、韓国語で謝罪という言葉と似た発音を持つ林檎だから、贖罪の意味だったのか。両方を指していたのかな・・・

 

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出来るだけ種明かしをしないようにしている構成なので、ちょっとやっぱり整合性が取れない部分があるように思うんですよね。でもこんなにもラスト近くまで答えを引っ張ってたのはすごい。とはいえ、節々で少しずつヒントは出されていたので、勘のいい人なら早くに気づいたかもしれないなあ。

私はミヌがスヨンを刺してしまった辺りでそういうことかとなんとなく。しかし奥さんは子供を堕ろしたと言っていたけれど、嘘だったんだなあと私には思えたんだけどどうなんだろう?床に広がっていく血を見てそうかなと。スヨンにも迷いがあったのか。

ラストでカン刑事とミヌが対決したのが日曜日。ビューティフルサンデーというタイトルはとても逆説的で苦しくなる。私が知っている以上に日曜日に宗教的な意味があるのかな・・・とも思えたのだけど、詳しくは分からない。ミヌはどこか生きるために自分の罪から目をそらす必要があって作り出された別人格みたいなものだったんだろう。結局同一人物だった二人が自分の罪を自分で裁いて救済を与えた美しい日曜日という結末はそうするしかなかったのだと分かるけど、何も解決した気がしないのだった。

それはおそらくスヨンを強姦した時の理由が「自分が自分じゃなかったんだ」「衝動的だったんだ」という理由をミヌが並べ立てているから。そして本当にその罪に苦しんでいたなら警察になろうなんて思えない気がするから。「仕方がなかった」から罪を犯したというばかりで、自分は悪くないのだと言っているようにみえるから。だから確かにこの映画はプロットの複雑さという意味での興味は持てるけど、外側をショッキングに飾り立てているだけのように感じられて、まん中の何かが抜けているような気がしてしまうのでした。

っていうかどういうきっかけがあろうと衝動で強姦なんてどんな言い訳しても許されないからな!それも好きな人にそんなことしたら余計あかんやろという感じで最初の部分からなんだかあんまり理解できない感じなのかも。強姦を描いているのがダメっていうのではなくて、あのシチュエーションでそんなことになるか?っていう感じで納得出来ない気持ちを持っちゃうなあ。たいていのことは映画だからと思って見れるんことが多いんだけど、なんだかここは無理だったのかも。だから見ている側として陰鬱な気分になってしまったのかもしれない。

 

編集などの技術的には非常に凝っていて興味深かったのですが、人間の心の中にもう一歩踏み込んで描かれていたらもっと視聴者にも訴えかけるものがあったのかな、なんて思うのでした。ちょっとモヤっとした気分が残りました。

 

 

ビューティフルサンデーが見れるのは・・・