映画の「春光水暖」を見てまいりました。このチラシの謳い文句でかなり期待を煽られておりましたが、それ以上の素晴らしさ。今まさに変貌を遂げようとする富陽の姿が画面に移し撮られていて、ドキュメンタリー的な要素もあり、映画としてのストーリーもありと、たくさんの側面を持っているこの映画を完成させたグー・シャオガン監督の力量に感嘆、という感じ。
この「春光水暖」というタイトルはオフィシャルHPによると、
本作のタイトルである春江水暖という言葉は、宋代きっての文豪で、書家・画家としても優れ、音楽にも通じていた詩人・蘇東坡<そとうば>が、 こよなく愛した富春江の風景をうたった代表的な詩「恵崇春江晩景<えすうのしゅんこうばんけい>」の一節からとられている。
竹外桃花三両枝 春江水暖鴨先知 ロウ蒿満地蘆芽短 正是河豚欲上時日本語) 竹外の桃花 三両の枝 春江 水暖かなるは 鴨先ず知る ロウ蒿 地に満ち 蘆芽短し 正に是 河豚上らんと欲するの時
意味)竹林の外で桃の花が二枝三枝と開く。春に川の水が暖かくなってきたのを最初に知るのは鴨だ。シロヨモギが岸辺に咲き乱れ、アシが短く芽吹いている。今はちょうどフグが川を遡る時期だ。
そんな風に富春江の美しさを讃えた詩からから来ているのだけど、昔もきっとこの河の流れは美しく、それは今も変わらないのだと思った。劇中に出てくる大家族の長男の娘の恋人ジャン先生が、留学したのにどうして戻ったの?という問いに対して、ここで産まれた人間は富春江に戻って来てしまうんだというようなセリフがあって、これはもしかしたら、こうして故郷に帰って来てこの映画を撮影している監督自身の思いなのかもしれないと思ったのでした。そんな風にこの街の人々とは切っても切れない存在の大河。結婚の誓いのシーンでも「富春江に一礼」という部分もあり、それもこの町ならではなのだろうな。
沢山の方がきっと富春江を映すロングショットがまさに山水画のようで素晴らしいと言っていると思うので(もちろんそれは想像を絶するほどの美しさで息も出来ずに見つめていたけれど)、他のシーンで私が心を奪われた部分を二つほど。
実ははじめの数分で心をぐっと掴まれたのですが、それが祖母の誕生日祝いの場面。だんだんと人が集まって来て、それぞれが各テーブルでざわざわと各々が話しているシーン。その時のカメラの焦点が移り変わる感じと、祖母を中心に挨拶する人の声を少し大きめにしてあるんだけど、もちろん他のテーブルの声も聞こえてくるというバランス。まるでその場にいるみたいな臨場感で不思議な気持ちになってしまう程。全体を映しているようなのに、人にちゃんと焦点があっているというか。富春江を映す場面でも同じで、自然を撮っているように見えて、本当はそこに暮らす人々を映しているのだと感じさせられたのでした。
そして、もう一つは、次男夫婦の奥さんの誕生日プレゼントにと次男が市場でマフラーを買う場面。選んだ赤いマフラーを丁寧に折って奥さんに巻いてあげる姿も美しかったのだけど、そのマフラーという小道具で富春江に冬が来たことを告げるという。次のシーンは雪の積もった街の風景で、流れるようなその転換の手法にこれは凄いなと。そうやって富春江の春夏秋冬を見せてくれるのです・・・ そしてもちろん、四季の移り変わりに合わせて、この4兄弟が一人ずつクローズアップして描いていくというのも面白いですよね。緩やかに主役が変わっていくというか。
富春江のこちら側は山水画の世界がそのままでも、反対側に視線を向けて見れば、開発されてビルが立ち並んでいて、そうやって街が変わっていき、人々の意識や生活も変わっていき、それでも人々は新旧の間に折り合いをつけて、一生懸命生きていくのだなあ。だけど、そんな中で河は変わらずに流れ続けるのだった。
実際に監督の親族やら地元の方が演じているおかげなのか、この風景の中になじんでいて、この絵の中で生きているみたいなのも良かったな。もしかしたら、人によっては興味が沸かない映画なのかもしれないけれど、私みたいに好きな人にはビタっとはまる映画なのではないでしょうか!?そして3部作だそうで、エンドロール前に「一の巻、完」と出てきて驚いたのは私だけではないはず。撮影に2年かかったそうなので、次作も完成は少し先かなあ。でもこの待っている時間も楽しみだと思えるような映画だなあ。