【中国映画】ロングデイズ ・ジャーニー この夜の涯てへ の感想 覚醒と睡眠の間でたゆたう

昨今の状況では、映画館に行くこともままならなくて映画好きとしてはとてもさみしいのですが、実は映画館で見た作品でもまだ感想を書けてないのがいくつかあるので今の間に更新してしまわなくては!

今回書く「ロングデイズ ・ジャーニー この夜の涯てへ」は3D作品であります。私は実は3D映画を見るのが初めてだったんですよ~~ なので3D眼鏡も買いましたよ。普通の方はもっとメジャーな作品で3Dデビューしそうだけど、中国映画で、というのが私らしいですな!

3D映画というのも初体験ですが、ここまで眠気に襲われた映画も初めてでした。いや、こういう言い方をしてしまうと誤解されちゃいそうなんですが、内容がつまらなかったから眠気に襲われたという訳では決してないのですよ。覚醒と睡眠の間の空間に誘われるようなそんな映画だったのです。まさに夢を見ているような138分。
本当に不思議な感覚を覚える全く新しい体験でありました。

 

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舞台となっている凱里市は中国の中では南方にあたるのかな。南国とまではいかないと思うけれど、どこか纏わりつくような空気感を映像から感じるような気がしたのはそのせいかな。ストーリーも濃密なのにつかみどころが無い。

鮮やかな色彩と音楽、ちりばめられるエピソードたちに翻弄される気分で見ていたけれど、不思議と気分がよく、その世界に沈み込むような、でも浮遊するような感覚。夢で見たような風景をこんな風に実際の作品に落とし込んで映像化できるビー・ガン監督の手腕がとにかくすごくて、終わった後に深い息を吐いてしまったのでした。

前半の記憶のピースが後半の夢の部分で拾い上げられている気もするし、訳が分からないままの部分もあるのだけど、その不思議な感覚を持ったままでいいのかなとも思ったり。夢って整合性がないものね。どう感じるかどう楽しむかは視聴者の視点に預けられてる気がして、ただこの映像美を楽しむだけでもいいのかな、なんて。そんな気持ち。

そして、途中で3D眼鏡をかけるという行為がとても効いていて、非日常へダイブする装置みたいだった。主人公が映画館に入って、映画を見始める時に私たち見ている側もメガネをかけるんだけど、ほんと不思議な高揚する感覚に陥りましたね。3D映像であるかよりも装置としての使い方が非常に興味深かったです。

ただ思ったのは、この映画の主人公は記憶に残る女性を探し続けてるんだけど、彼女は彼の母親に似ているのよね。結局、どこまでも彼は自分を捨てた母親を探し続けずにいられないのだと思った。だからこそ夢の中でしか会えないのかもしれない。ミステリアスな女を探すイメージに乗せてあるけれど、この映画は母親への思いを形にしたものなのかな・・・なんて感じたなあ。主人公は監督でもあるのかな・・・?分かんないけど。

原題は「地球最后的夜晚」、英題はLong Day’s Journey Into Night、邦題は「ロングデイズ ・ジャーニー この夜の涯てへ」。かなり原題と邦題が離れてる感じもするけれど、この最後の夜の「一瞬が永遠」だと考えたのならロングという言葉が入るのもあながち見当外れでもないのかもしれないな。

 

⇒Netflix







【香港映画】ラブ・イズ・マネー の感想 トニー・レオンとスー・チーが主役のラブコメ!

「ラブ・イズ・マネー」を視聴しました!トニー・レオンもスー・チーも好きなので、Gyao!で配信してたので見てみたのでした。今の気分的にあまり重いテーマの作品より、単純に楽しいものを見たかったのでその気持ちにピッタリの映画で良かったです。

俳優さんって、重いテーマの作品に出たりすると、その役柄にはまり込んでしんどくなる人もいるんだろうな・・・と考えてしまう事もあるんだけど、香港の俳優さん達に限って言えば、深刻な役とコメディー的な役の出演作の振り幅が大きい気がするので、きっと大丈夫だろうなあなんて勝手に思っちゃうのでした。トニー・レオンもクールな役を演じてるかと思ったら、こんな作品にも出てるので、精神的にも非常に良いバランスなんだろうなあなんてことを考えた!ストーリーには全く関係ない!わはは!

 

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主役が誰かを見ただけで内容もなーんにも知らずに見たのですが、ヒロインのスー・チーの父親役でウォン・ヤッフェイが出てきたのを見て、これはコメディーだなとストーリーを察しましたよねー

なんでしょうか。彼が出てくるだけで思わず笑っちゃうんだけど、それってすごいことですねえ。素晴らしい存在感!そして監督はバリー・ウォンなんですが、彼の作品で思い出すのはゴッド・ギャンブラーシリーズかなあ。この辺りの映画も好きだったので、やたら高額の賭け金を表す広東語ばかり覚えてしまったというのを思い出しますなあ。実際には全く自分が使うことは無さそうな実用的じゃない言葉ばっかり!

ま、そんな感じで、コメディータッチだし、トニー・レオンは金持ちなのにめっちゃケチで極端な役だし、親友のトム役のラム・カートンも面白キャラだしで、クールじゃない姿が見れて面白いです。でもそんなこと言っても主役のトニー・レオンもスー・チーも美しいので、二人のキスシーンなんかはちゃんとロマンチックだったりするのよね。私が好きだったのは、二人がオレンジのアイスを食べながら町を歩いているところ。なんでこんなに絵になるんだよーって感じ。クールなトニー・レオンも素敵ですが、ふにゃ~と優しく笑う彼のが更に好きかもしれない。

最後はちゃんとハッピーエンドの安心感もあるし、お約束の出演者たちが沢山出てるのも嬉しいし、楽しめる香港映画であります。やっぱり語尾の伸びる音が多い広東語がちょっと力が抜ける感じがしてこのノリにとってもシックリ来るんだなあ。面白かったです!

 

⇒Netflix






【香港映画】インファナル・アフェア3 終極無間 の感想 「明日が過ぎれば無事だ」という願望は叶わない

インファナル・アフェアシリーズの最後を飾るにふさわしい完結編の3作目です。自分が生き残るために仲間を売り続けるしかないラウの辿り着く先はとても苦しい。救いのない無間地獄を出ることが出来ずにとどまり続けるしかない。自分自身への絶望感とともに。

 

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ヤンとラウを結びつける触媒としてのリー医師の存在の使い方がとてもうまいと思うのだった。

ケリー・チャンのクールそうな少し神秘的な存在感が精神科医としてとても効果的で。それぞれ本来の自分と対極をなす場所にいるヤンとラウが本人が気を付けていても思わず本音をこぼしてしまう場所。その秘密はあまりにも重く、それを聞いてしまったものの心にも波紋を作り出す。

リー医師のカルテを盗み見ることで自分とヤンを重ね合わせていくラウ。けれど、やっぱり彼はどんなに自分が善人だと思いたくてもそうなることは出来なかったのだった。

完膚なきまでに、突き付けられる現実というのは実に辛いものだ。とっさの判断に本性が出てしまうというのは本当で。自分は善人で警官になり切れると思ったラウが躊躇なくヨンの眉間を撃ち抜けてしまうのはやっぱり彼が黒社会の人間だということをあまりにも端的に表していて、ラウの絶望とともに視聴者にも絶望感をもたらす。丁寧に丁寧に描いてきたそれまでのストーリーがそこにきちんと集約されて、納得感とともになんとも言えない気持ちになる。絶望感?諦念?とにかく苦しい。

そしてラウは結局、自分がしてきたことの報いを受けるが如く、死ぬことも出来ず、生き地獄の中をさまよい続けるしかないのだった。

 

人生は因果応報なのだろうか。ヨンの殉死が不幸だったのかというとそうではなかったのかもしれない。あの苦しい生き方を終わらせることが出来るのは「死」しかなかったとしたら、それこそが救いだったのだろうか?そんなことを考えつつ、映画のストーリーはきちんと終焉を迎え、話の展開は回収されているし、綺麗にまとめられているのだけれど、心の中の苦しさの余韻だけは見終わった後に更に大きくなり、その存在感を増すようなそんな映画だったと思うのでした。

 

インファナル・アフェア3 終極無間が見れるのは・・・



【中国映画】ラスト・サンライズ の感想 もしもあと8分で太陽が消滅してしまうとしたら

あと8分で太陽が消滅してしまうとしたら、という危機的状況を描いた映画「ラスト・サンライズ」を見てきました。実際にそんな状況が訪れるとしたら科学の進歩によってちゃんと事前にそうなるということが分かるのでしょうか?それともこの映画のようにあっけないほど突然その時が訪れてしまうのだろうか。一応、この映画の中でも少し前にそうなることは予測されていたけれど、そういう不都合な事実は民衆には周知されないのであった。そこは妙にリアルだな、なんて思った。

 

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生きるためになんらかのエネルギーが必要というのは間違いのない事実なんだけれど、それが太陽光でなくても他の方法があれば生きていけるのかもしれない。だけど、私たちが生きていくのに本当に必要なものは心の中に灯る光なのかしら。

監督もそれが描きたかったのかな、と思った。映画の中でもそれを無くした人は、生きる手段があるとしても、それを模索するよりも諦めることを選んでいたから。

私たちは暗闇という概念があってはじめてそれに対比する概念として光を認識できる。だから暗闇になってはじめてそこにあった光を認識できるようになるのかもしれない。

こう書いて来て少し思い出したのは韓国映画のシークレットサンシャイン。全て無くしたと思った心に刺した一筋の光が見えたラスト。あの感覚を丁寧に追いかけて描いてあったようなイメージ。

スンとその隣人のチェンはたまたまこの苦境を一緒に乗り越えようと支え合う存在になって行く。そんな極限の状態で知った守りたいと思う存在があること。それは生きるに値する理由のひとつなのかも。恋とか愛とかそういうものをもっと超えてただ寄り添いあう体温が人間にとっての光なのでしょうか。

ディザスタームービーとして見たら、パニック感はそこまで伝わって来ないって感じかもしれないのだけど、わたしは結構好きな映画だったな。監督が描きたかったものが伝わって来た気がしたし、ラストサンセットじゃなくてラストサンライズというタイトルの意味も理解できた気がした。

映画の中での描写では本物の太陽に関しては、沈むシーンしか無くて、その後は暗黒の世界。けれどその後に昇った太陽=サンライズは、心の中で見つけた光だったんだろうなって。

あと、不安を煽るようなソナー音みたいな音声が非常に効果的で効いてましたね。登場人物の少なさやシーンを見てると、きっと低予算の映画なんだろうと思うのだけど、ストーリー展開がうまく運んで行って見入ってしまったし、面白かったです。

レン・ウェン監督の作品を他も見てみたいなーと思いました。だけど災害ドキュメンタリーを3年ほど撮っていて、今回みたいな映画は初めて撮影した監督さんみたい。じゃあこれからに期待だな~

もし、本当に8分間で太陽がなくなるなら、私はその時間は珈琲豆を挽いて、コーヒーを淹れたいななんて考えた。美味しくなりますようにと丁寧にお湯を注ぐドリップは祈りに似ている気がして。そんなふうに日常生活の中にささやかな祈りの光があることを噛みしめたいな。

 

⇒Netflix







【香港映画】インファナル・アフェア 無間序曲 の感想 シリーズ2作目はラウとヤンの11年前のストーリー

「インファナル・アフェア 無間序曲」はインファナル・アフェアシリーズの第2作目。1作目から11年遡った香港が舞台で、若い頃のラウとヤンはアンディ・ラウとトニー・レオンではなく、エディソン・チャンとショーン・ユーが演じています。

いやー この映画もずいぶんと前に見ていたんですけど、2と3を続けて見てしまったせいで自分の中でそれぞれの作品の感想を分けることが出来なくなっちゃいまして。舞台となっている時代はずいぶんと違うんですけどね。なんとなく。

それで、もう一回見てから感想を書くことにしました。なのでゆるっと2回目の視聴をいたしました。

 

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ストーリーに関しては1作目の世界観が持続しているし、香港返還の頃が描かれていて興味深いのですが、キャスティングがちょっとだけ気になるのでした。

ヤンのショーン・ユー→トニー・レオンの流れはわりと良い感じと思う。

しかし、ラウのエディソン・チャン→アンディ・ラウは正直なところ、あんまりしっくりこないかな。ラウのイメージにエディソン・チャンがなんだかちょっと重ならない気分です。皆さんはどうなんでしょう?

まあ、今回はどちらかというとアンソニー・ウォンのウォン警部と、エリック・ツァンのサムに焦点が当たっているストーリーなので、ラウとヤンはそこまで気にはならないともいえるけど。

この二人のやり取りが見どころです。ウォン警部がサムをボスに据えようとするのは、最善ではなくても少しでもマシな状況にしようとしてなのだけど、結局、ボスが入れ替わっても同じことが起こるという皮肉。繰り返される悲劇。

味のあるおじさん俳優パラダイスですな・・・

誰もかれもはまってしまった蟻地獄から抜け出せず。ヤンもまた任務に終わりはなく、結局警官に戻ることは出来ないまま出口もなく。

彼らの姿を見ていると、苦しいのか悲しいのか空しいのかなんとも形容のしがたいやるせなさが募りますね。そして考えてみたら全作品の11年前の物語だったということはそれだけの期間、彼らがその地獄にいたという事ですから、そう考えると映画に出てこなかった部分まで想像してしまって尚更辛い気持ちになるという感じ。おお・・・

 

さて、その他の登場人物も香港映画で見慣れた方ばかりで大変安心感があります。

ルク警視役のフー・ジュンの演技も印象的です。今作ではまさかの展開に涙ですよ・・・ 最近は彼はレッド・クリフとかにも出てすっかり有名になったけれど、私にとって彼は「藍宇 〜情熱の嵐〜」のチェン・ハントンなんだよなあ。あの映画も時間が経っても色濃く印象に残っている映画であります。

ハウ役で出演のン・ジャンユーは大好きな俳優さんの一人。癖のある悪人役を演じてるのが一番好きなので、今回のハウ役は私には物足りないかなあ。半分インテリの黒社会のボスって感じかな。でも、彼が出てるだけでいいんですよ。ほんとそんな存在。

マリー役のカリーナ・ラウのとても良かったです。ラウにとっての「マリー」という名前にそんな前日譚があったとは・・・という感じですね。このエピソードはうまく考えられてるなあ。

このアンドリュー・ラウとアラン・マックの作品には限らないかもしれないけど、裏社会を舞台にした香港映画の魅力は、非常にウェットなのに、突然のドライさの描写なのかなと思ったのでした。それともウェット過ぎるがゆえにそれを断ち切るために極端なドライさが出現するのかな、などとラウやサムの選択に思うのでありました。

 

インファナル・アフェア 無間序曲が見れるのは・・・