邦画なんですが、ぺ・ドゥナ主演ということもあるので「空気人形」の感想もここに残しておこうかと思います。是枝裕和監督の作品は「幻の光」「誰も知らない」「大丈夫であるように -Cocco 終らない旅-」を見たことがあります。っていうか「誰も知らない」だけしか見たことないと思ってたけど、今調べてみたら是枝監督の作品を思ったよりは見てて驚いたのでした。
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しかし、とにかくすごいなと思いながら見ていました。是枝監督という人は、非常に緻密に構築された映画を撮るような気がします。というか始めからそう撮ると決めている部分と、撮ってみたらそうなった部分が合わさって最終的には隅々まで思った通りのものが出来上がっているという印象です。どのエピソードも無駄なものが無い。
これはおそらく、撮りたいものが一貫しているためかもしれない。どの映画も誰の目にも止まらないような人の存在を淡々と描き出して浮かび上がらせる。この映画でもそれは変わらない。人の心の空洞。そしてそれでも生きていく人々。安易な解決を提示しない。けれどラストにかすかに見える光。
普通の人形ではなくて、「空気人形」でなければならなかったのは、人から与えられる何かで空洞を埋められる存在でないといけなかったからなんだな。人と関わること、他人から息を吹き込まれることで欠如を埋めることが出来る人形が象徴的に使われている。空虚さを抱えた現代人のメタファーのよう。
純一とのぞみの関係は、空洞を抱えていても関わり合うことでその空洞を埋めることが出来る、けれど自分にとって有効だったやり方が他の人にも有効な訳ではないってことだったのかな。のぞみは自分がもらった空気を同じ様に純一にあげたかったけれど、結局悲しい結末を迎えてしまう。
空気人形が人間に近くなったのは、心を持ったときじゃなくて、空気入れを捨てて一回性の生を選んだ時なのかな・・・ この先は空気が抜ける時はその存在が消える時だと覚悟をした時。でも結局、純一は燃えるゴミ、のぞみは燃えないゴミの置き場へ。確かにのぞみの存在に救われた人もいたと思うのに、彼女はあくまでも最後まで人形だったのでしょうか・・・
空気人形ののぞみが心を持ったきっかけの言葉は「キレイ」そして過食症の女の子がラストに発した言葉も「キレイ」。ああ私たちは本当にそんな感情をくれるささやかなモノたちに生かされているのだと思った。
是枝裕和監督の不変のテーマとそれに対する多彩なアプローチの手法に魅せられる映画でした。少し猥雑ともいえる部分を見せることでもしかしたら嫌悪する層もいるし、反対にいつもは彼の作品を見ない人の目に触れる人もいるかもしれない。そういうところに迷いがないんだなあ。
もちろん、ペ・ドゥナの人形のような美しさがこの映画を更に魅力的にしているのも間違いなくて、本当に素晴らしい演技でした。