中国映画の「更年奇的な彼女」を見ました!韓国のクァク・ジェヨン監督のアジアの彼女三部作、韓国の「猟奇的な彼女」と日本の「僕の彼女はサイボーグ」に続く最終作らしいです。が、私は他のをどっちも見ていないので比べられないのでありますが。まあなんで邦題が「更年期的な彼女」じゃなくて「更年奇的な彼女」と猟奇的な彼女を彷彿させ漢字を利用しているようですな・・・ そういうの訳わからんなあといつものことながら邦題に関して思いつつ。
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ちなみに私がこの映画を見ようと思ったのは、ウォレス・チョンが出演してたから!なんですけども、元カレ役なので出番はほとんどありませんでした~ でも、私が一番共感できたのは、彼が演じていたリウ・チョンだったかもしれないなあなんて。「チー・ジアをこっぴどく振った酷い人」という視点で見る人もいるのかもしれないだけど、中途半端でなくもう無理だということをはっきりと伝えているのって実は優しさのようにも感じてしまうのですよね。
チー・ジアが卒業式にウェディングドレスを着て来て、リウ・チョンに結婚を迫るんだけど、彼は断るんですね。まあみんなの前で恥をかいたという意味ではチー・ジアが気の毒ではありますが、そもそもそこに至る過程が途中で描かれているのを見ると、実際には先に彼の手を離したのは彼女の方なんだと思う。卒業後北京に行くという彼に私は行きたくない、履門であなたが帰ってくるのを待ってると言う彼女。それは仕事に失敗して戻ってこいという意味なのかと問う彼。向上心に燃えて北京に行って仕事を頑張ろうとしている彼に対し、全く耳を貸さない彼女。相談とかいうレベルじゃない。彼は私を愛しているから私のために戻ってくると思ったのかもしれないけど、彼はこの時に彼女とはもうやっていけないと決めたのだと思う。それなのに相手が自分と結婚したいに違いないと決めつけてウェディングドレスを着てくる彼女に私はドン引きですよ・・・ リウ・チョンの心の動きなんて全く見ていなくて、ただ自分が望むことだけを思い通りにしたかったんだなと。
という訳で、その卒業式の後、4年間も彼のことを忘れられずにいて若年性更年期障害になったと聞いても、自分で自分が作った罠に捕らわれただけのように思えてしまうというか。人のせいにしている限りそこから彼女は抜け出せない。
チー・ジアとユアン・シャオオウに関していえば恋愛というよりは依存の関係なのかなと思ったり。チー・ジアもどこか自分を世話してくれる人がいると分かっているからお酒を飲んだくれていられるんだろうし、ユアン・シャオオウは人の世話をすることで自分の存在価値を確認しているような気がしてしまう。もちろんそこには好意が根本にあるからこそではあるんだろうけども。それともチー・ジアは最初から自分を全部許して全部受け止めて全部愛してくれる人を求めていたのかもしれないのかな。それなら彼とはぴったりですね。
ジョギングの途中に通る林に生えてる気がとても素晴らしい景色だったんですよ!そこはとても良かったな。でもやたらとスケッチをしている学生がいるなと思ったら、チー・ジアとユアン・シャオオウのキスしてる絵が展覧会でいっぱい飾られてて、実は学生たちが見てて描いたんだということが分かる下りは素敵な流れだったかな。でも、どうなん?高校生がキスシーンを描いたとして、その絵を展覧会で飾ってもらえるもんなのか?ってちょっと思いましたとさー。
あと、日本語吹替しかなくて仕方が無いのでそれで見たんですが、BGMと声の音量のバランスがイマイチだったのか聞きとりづらいな・・・とちょっと思ってしまった!それからチー・ジアのいとこが顔が似てるのはまあ有り得るとしてもあの特殊な髪型までまるで同じなんてことあるんかな~とツッコミたくなったのでした!
ロマンチックコメディーなのかな~と思うんですが、私にあんまり理解できない映画でありました。こういう関係が素敵なのかな?分からない。けど愛のカタチって本当にいろいろあるからその内のひとつを垣間見れたのかな、と思っとこう!猟奇的な彼女も見たいと思ってたけど、似た感じだったら無理かもしれない・・・おお。