こういう気持ちを味わうために映画館に足を運んでいるのだ、と思う。
そんなことをしみじみと思いながら見ていた。
見終えた後に呆然としながら歩くこの感覚、久々かも。
出来るだけ抑えようとは思うものの、あふれ出る思いを止めることが出来ないかもしれず、完全にネタバレ多めになってしまいそうなので、この感想は鑑賞後に読んでいただいた方が良いかも・・・
さて、冒頭の英語の授業のシーン、used to beと過去形、現在形の話。現在の主人公の状況を表し、その英語を利用してそこから過去の話へと持っていく流れ。その短いシーンでこれだけのことを表現する力量に初っ端から驚愕してしまったのでした。そこで、心をすっかり持っていかれて、この監督凄い、天才じゃん・・・と思ったのですよね。その期待はラストまで裏切られることはなく、ぐるんぐるんに心を揺さぶられて今に至るという感じ。
この映画、チラシをちらっと見たことがあったり、あと映画好きの知り合いが見に行くと言っていたので存在は知っていて、でもその人に鑑賞後に感想を聞いたら、うーんまあみたい物言いだったりもしたので、それなら見ても見なくてもいいかなくらいの気持ちでいたんですね。その程度だったのでストーリーについての予備知識は全くないまま。でも、意外と上映期間が長く、映画館で見る機会を得ることが出来たのですが、本当に見に行って良かったです。マジで。
そういえば、それくらいの気持ちだったもう一つの理由は、チョウ・ドンユイですかね。彼女の出演作はシチリアの恋しか見たことなくって、演技がどうとかじゃなくってあの映画自体があんまり良い印象がなくってですね。それで興味が沸かなかったのもあるかな。が!今作を見て、彼女に対しての認識がすっかり塗り替えられることとなりました。マジで。(こればっかり言ってる、語彙力とは・・・)
そんな感じで、鑑賞後に監督がデレク・ツァンと知り、あれ?最近、彼が俳優として出演してる映画を見て、エリック・ツァンの息子なんだと知って驚いた気がするな!?と思って調べてみたら、狂獣でしたね。ショーン・ユーの腹違いの弟役で出てたんだな~ あれも友情出演で短い出番だったもののなかなか印象深い役だったのだよな。それで俳優さんと思ってたら映画監督もしてて、それもこんな凄い映画を撮っちゃう人だったんだ!とそれはもう度肝を抜かれました。誰が監督か知らずに、天才だなと思いながら見てたからなあ。全編を通じて、監督が表現したいものが非常に明確なんだなという事を感じましたな。
おそらく社会問題的な内容のこともあって当局から指導が入ったんだろうなというのも想像に難くなく、冒頭や最後のいじめに関しての注釈は、それを入れることで上映許可がおりたのであろうとは思うのです。どうしても若干プロバガンダ的な風味が入ってしまうので作品としては無い方がそりゃ良いとは思うんだけど、それを入れることで主張を曲げている訳ではないから受容は出来たかな。作品自体にもいじめを無くしたいという気持ちが込められていたのが私にはしっかり感じられたし。
主役の二人、チョウ・ドンユイもイー・ヤンチェンシーもどちらも演技が非常に素晴らしく、二人の表情に釘付けになることも多かったんです。言葉よりも雄弁に語る瞳に心を奪われてしまう感じ。きっと見た人みんな同じかもしれないけれど、アクリル板越しに見つめ合い、言葉を発することなく通じ合い、理解し、涙を流し、そして微笑むシーン。あれ、きっとずっと忘れられないだろうな。俳優さんの力量もさることながら、これは監督のディレクションの賜物ではないだろうか?表現したいものがしっかりと共有されてる安心感が見ながらずっとあったんですよね。というか俳優さんもスタッフさんも含めてのチームが凄かったのですね。きっと
象徴的なのは舞台となる坂道の多い重慶の街。私は一度行ったことがあるだけだけれど、この街は坂が多いから太った人が少ないんだよなんてことを現地の人に言われたことを色濃く覚えている。乗っていたバスが坂をぐるぐると上っていく感覚が蘇るようで、もしかしたらこの町の坂の一番下にいるような彼らがそれでも足を踏みしめて坂や階段を登ろうとする姿を撮りたかったのかもしれないなんてことも思った。
そして、私にとっては、二人の関係が愛というよりはもっと切実で痛切なものに感じてしまった。ちょっとTHE K2のキム・ジェハを思い出してしまうというか。誰かを守ることで自分の大切な部分を守るという感覚が似てるような。シャオベイにとっては、ニェンが希望であり光であり。彼女が無事であることこそが自分を守り生きていく手段であって、捨て身の方法で彼女を守ろうとした時にも、それは犠牲でさえなかったのかもしれないなあとそんなことを思った。純粋な愛と表現することも出来るのかもしれないけれど、二人はそんな形でしか、自分をそして相手を守る術を知らなかったようにも思える。皮肉なことに彼らを助けることが出来ない大人の存在が二人の絆を強固にする。そんな切羽詰まったギリギリの二人の思いにこちらの心臓もギュウと握りつぶされるような思いで見てた。
そんな二人を現実の世界に引き戻して生きさせようとしたのが、あの刑事だったのかな。彼も自分の力が足りなかったことで結局あの事件に繋がってしまって、その結果二人に極端な選択をさせることになった原因のひとつとなった悔恨があり。だから、本当のことを告白させて、彼らを救いたいという気持ちもあったのだろうけれど、それは自分を救う事でもあったのだろうか?上司に褒められた時の、彼の苦虫を噛み潰したような表情。
悔恨の思いという部分でいえば、もう一つ印象的だったのは、ニェンとシャオベイの出会いのシーンもかな。多分、いつもだったら、ニェンは通り過ぎていたかもしれないんじゃないかな?けれど、フーの自殺によって、無関心でいた自分への悔恨の思いをそこから感じたのでした。
そして、厳しい受験戦争、親の期待については、映画の世界ほど厳しいものではなかったけれど、経験があるので、思い出すとひたすら苦しく、私はあの頃になんてもう二度と戻りたくなんてないし、今なら学力だけで判断されるべきではないと思えるけれど、ただそれだけでしか価値を認めてもらえなかった時期のことを思い出すとずっと息が出来ないような気分が蘇る。あれは中国に限った事では無くて、あそこまで表面だってはいないけれど、日本にもああいう風に追い詰められている学生というのは存在すると思う。いじめの内容だって、まさに最近ああいう事件がありましたね・・・ しかし、結局、覆い隠されて真相は一体明らかになるのだろうかと感じさせられたし。学生時代って学校だけが世界の全部のように思えるから、ニェンはシャオベイのような存在を知ることだけでも、すごく救われていたのじゃないだろうか。
現在の二人の姿が最後に見れて良かった。確かに彼女は世界を守っていたし(孤独であろう生徒に声をかけることが出来たという事実が世界を守る小さな一歩なんだと私は信じている)、シャオベイはニェンを守り続けていた。苦しいことが多いこの世の中、ベストな選択、人生を送るのってなかなか難しいけれど、それでもベターは選べるんだってことなのかもしれないという希望。そんなことを英題のBetter Daysを見て考えたりなどするのだった。
いつもに増して思いの丈をうまく表現できた気が全くしない。
また書き直すかもしれない!っていうかむしろもう一回見に行こうかしら。