映画の「悲しみよりもっと悲しい物語」を見ました。タイトルから予想出来るようにラストがなんともいえないどうしようもない救われない気持ちになるお話でありました。やるせないな~とは思うものの彼らの選択については共感できないかな。
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この映画でよくわかったことは、「自分を犠牲にさえすればみんな幸せになれる」というのは大変な思い上がりなんだということ。チョルギュ(クォン・サンウ)は自分の不幸な境遇に酔って自分を犠牲にしているつもりで結局はすべて自分の思い通りにしようとしたのです。その結果、実は自分よりもまわりの人々の気持ちを犠牲にしてしまったのでした。
自己犠牲はある意味、究極の自己愛なんではないだろうか?それくらい他の人をないがしろにするチョルギュの選択。
余命いくばくもないチョルギュは、愛するウォン(イ・ボヨン)が自分が死んだ後に寂しくないように彼女を結婚させようとします。チョルギュが隠しているつもりの病気のことを知ったウォンは彼の意を汲んで他の男と結婚する姿を彼に見せて安心させようとします。ウォンは病気のことを知っていることを彼に隠しながら、それがチョルギュの願いならば・・・と。
そして、彼の自己犠牲(のつもり)の精神は、ウォンだけでなくウォンの結婚相手や、その元婚約者も巻き込んでしまうのですよね。周りの人々の気持ちのないがしろ具合がすごいので、悲しさよりもチョルギュの自己中さにびっくりしてしまうのでした。
あと気になったのは回想シーンが多いのだけど、回想する人が移り変わって行って構成がブレブレな印象を受けたことかな。それからクォン・サンウはこの役を演じるに当たって末期癌の患者に見えるように痩せようとかそういうことは考えなかったのでしょうか?めっちゃ丈夫で健康そうに見えましたけどー!
「悲しみよりもっと悲しい物語」というのは一体誰が悲しかったということなのかしら?ケイとクリームは自分たちの思い通りにしたのだから悲しくないんではないかと思ってしまうな。ううむ。