第64回 カンヌ国際映画祭のグランプリ作品ということで見てみた映画「昔々、アナトリアで」ですが、これがなんだかとても好きだったんです。はっきりとした真相が明かされない故か、それが逆に深い余韻を残すのでした。
アナトリアというと、トルコのアジア部分を指すようですが、映画の中で「早く遺体を見つけてアンカラに帰るんだ」というセリフが確かあったように思うので、アンカラに行ったことがある私は、あの辺りなのかな・・・なんて想像しながら見ていました。私が行ったのは都市部だったので、アンカラの近郊にはあんな美しい風景が広がっていたんだなあ、と思いを馳せていました。
ストーリーの大筋としては、殺人事件の実況見分のために遺体を埋めた場所を探すロードムービーとでもいうんでしょうか。容疑者がなかなか埋めた場所を言わないので、警察、検察、医師などがあっちやこっちやと振り回される道中を覗き見てるような体裁です。
移動中のおじさんたちのお話が面白かったり、風景が美しかったりするので、ただぼんやりと見ていることも出来る感じで、そうやって見ていると何も分からなかった・・・なんてことになりそうなんですが、本当はそのひとつひとつしっかり考えて構成されていたんだなあとハッとする部分もあるというか、そんな感覚です。
そのまま容疑者に振り回されたまま終わるのではないかと思っていたら、途中で寄った村での停電がきっかけとなって、物語は転換点を迎えます。停電の中、ろうそくを持ってやってくる村長の娘の光に照らされた姿の美しさに驚きます。映画の中の登場人物たちも息をのむのですが、画面の外側の私たちもその美しさに目が覚めたのか、むしろ夢の世界につれていかれるのか分からないような感覚になります。これは映画館で見たかったなあと思いますね。この暗闇の中で急に光を灯すというのは、催眠や詐欺師の使う常習手段ですが、非常に催眠にかかりやすくなる環境と聞いたことがあります。ここでは観客をだますために使われてる訳ではないのですが、このシーンの後、容疑者は遺体を埋めた場所や、どうしてそんなことが起こったのかを明かすことになります。その他の人々にも心境の変化を与える機会になるんですが、そうなるきっかけとしてこういうエピソードを持ってくるのが、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の本当に凄いところだと思うのでした。このシーンだけでも見る価値があると思う。
登場人物のセリフから考えると、殺人では無くて自殺だったのだろうかとも思うんですが、視聴する人の「死」の捉え方に解釈を任されているような気もします。この映画は、難解でもあるけれど、自分が見て感じた印象をそのまま受け止めたらいいのかな、なんて思ったりもする。しばらくたってもう一度見たらまた違う印象を受けそうな気がする映画なのでした。監督のヌリ・ビルゲ・ジェイランに俄然興味がわいたので是非他の映画も見てみたいと思います!